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ラニーが今のインド人なラニーになるまでの話

ナマステー。
ラニーです。
(=人=)

kazzくんの記事を読んで、
そういえば、私自己紹介してなくね?

。。。(=_=)

と、今更ながら気づいた今日この頃です御機嫌よう。

さらっとサクッと書いてみようと思います。

なんか群馬県出身のインド人とか紹介されてるんですけれど


(この頃から安定のドヤ顔)

先日過去生もインド、来世もインドとわかったけれど
今回は日本人だよ!!!

群馬と京都のハイブリッドとして生まれ、
ちょっと特殊な家庭環境で育ちます。

なんて言ったらいいですかね。。。
人よりも動物に囲まれすぎて育った?
動物がこの世を回しているような感覚のまま大きくなりました。

学力や外見といった簡単に数値化されたり比較されることではなく、
自由に自分を表現し、点数で評価されない世界に身を置きたいと思い、
漠然と、美大を進路に選びました。

選んだからには入らねば、と、朝から晩まで美大予備校で
毎日12時間絵を描き続ける生活をしたところ
気合いで現役合格♡
後で教授に、どうして受かったんですかね?と聞いたところ、

「どこかで見たようなのとか、誰かと同じのを描いてたやつは
すべて落とした。」

との回答でした(=_=)

版画と桜と境川と


(美大生の頃の怖い作品の一部分から)

美大はそのまま大学院まで通いました。
作品を作っていればいい生活は最高の贅沢。
時間を有効にすることも無駄に捨てることも自由で甘ったれたあの時間は
すぐに社会人に出た方からは非難もされるかもしれませんが、
一生の中であの大学時代の時間の特別さというのは、
社会に出て厳しい思いをしている時など、誰もが思い出すのではないでしょうか。

いいことも嫌なこともすべて感情をそのまま作品にぶつけていました。

その後、大学院を出た後も、あまりにも住んでいたアパートが快適すぎたため
引っ越しのタイミングを失い橋本に住み続けていたのですが、
気がつけば自分の友達はみな次の街や次の道へを進んでいることに!!
自分は停滞してるのではないか。。。という気持ちに苛まれていきます。

このころは、リトグラフの工房に、勤めていたというよりもむしろ
勉強をさせていただいておりました。

人生とは不思議なもので、そこまで厳しく接して頂ける人って
そもそも人生で1度か2度の出会いだと思うんですよね。

あの時は、こんな思いをしなくてはいけないのか、と
毎日思っていましたが、今ではこの上なく感謝しています。

あの時人としてボロクソに言われたことも、
作家としての姿勢を目の前で見ることができたこと、
絵に対する覚悟など、培うことができました。
今でもずっと工房の恩師ご夫婦を第二の両親だと思っています。

まだ何者かになる度胸もなくて

そのあと、独立しろ、と恩師から言われ、群馬に戻りアトリエを開きます。
そこでリトグラフの制作を行っていました。
そのあと急に引っ越し決まったり、アメリカ住んだり、
日本戻って震災あったりして

なんか

。。。楽しくない。(=_=)

と漠然と思ったのです。

なんだろな

なにしたいの?
自分は何ものかに成れてもなれなくてもいいんだけど
この人生で何するの?

私は自分の所に子供がきてくれた時に、
この世に本当に安心して子供に与えられるものは
はたしてどのくらいあるのだろうか

と思ったことも大きかったです。

またあの震災をきっかけに、残りの人生を
世の子供のために使いたいと
強く思ったこともあり、
ほぼ勢いだけでインドに移住してしまいました。

下ったままの坂はない。雨の後に虹が見える。


知らない土地で、コネもなく、
本当に信頼できる人や、
自分の望むものを作れる工場に
そう簡単に会えるわけも、もちろんなくて

こんな奴がこの世にいるのか
こんな思いをなぜ人にさせるのか
なんてことも多々ありました。

誰かのための1点の絵を、デザインに変えて
もっとたくさんの人に喜んでもらえたり、
ちょっとした安らぐ気持ちをあたえることができたら、

それを南インドの
世界一やわらかいオーガニックコットン
合わせられたら

縫製やが言うオーガニック生地が本当にオーガニックか確信が持てず
また布がオーガニックであったとしても染料はナチュラルではないことも
追求していけばいくほどわかって行き、

もう、

100%ナチュラル染料は自分でつくるしかない。

と言う答えにたどり着きます。

そしてまたその思いを実現に繋げられる
人と場所を探しに探し求め
本当に運良く出会えたのがラボのビビやサティさんでした。

あれからも、ひとつの色でも、
何度もなんども、原材料やコンビネーション
コンディションを変えに変え、
試行錯誤と改良を繰り返し、そしていまの「やさいいろ」になっていったのでした。

ありがたいことに、土着の女神姉妹からの
ご縁とご贔屓とお導きで
徐々に本当に求めていたものや人に出会えて
やっとここまでこれた感じです。

インドだからこそ起こる試練
ありえない展開
酸いも甘いも泥のような屈辱も
すべて飲み込んで
地道な努力を続けた先に

時々ひとしずくいただける
神様からの微笑みのような
ひとひらのごほうび

それがつながり、

こども達の笑顔だったり、
みなさんからいただけるお気持ちだったりするのですが

それらを励みにこれからも日々精進していきます。

p.s.雨の後に虹が見える。下ったままの坂はない。これらの言葉はインドの友人が、私が数年間にわたって、何をどんなに頑張ろうと一切結果も出なくて、本当に何もかもうまくいかず、暗闇の中トンネルの出口も見えない、そんな時に、よくかけてくれた言葉です。
あの時を思い出せば、何もかも上へと進んでいる。これから先がたのしみすぎるのです。



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