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カルマの解消とケトゥテンプル

神さま〜も色々〜♪(=人=)ラニーです。
今日は私の思い出話でも。お時間ある時にだらりとお楽しみください。

南インドから日本へやってくる前に、私、カルマの解消をしてきたんですのよ。

南インドの山岳エリアのお猿

カルマとはなんぞや。

例えば普段、「ばかー!!」とか、「おまえなんか嫌いだああああ!!!」 みたいな、つい勢いに任せて言ってしまった言葉たち、もしくは行為。

その場を乱し、そこにいた人をもれなく嫌な気持ちにさせてしまった。これらも、小さいながら負のカルマとなります。

逆に、困っている人を助けたり、人に親切にしたり、これらはプラスのカルマとなってその人に積もります。

でも今日お話ししたいカルマは、今回の人生で生まれてくる時に自分自身で選んだ宿題みたいなもののこと。

これって、今生の私ではなく、過去生の私(といってもそれは100%私ではなく、私に似た類友ならぬ類魂みたいないくつかの他の人であった私なのですけれど)が犯した罪によって、それを贖うべく負って来たもの

この過去生カルマが発動されるのは、だいたい平均生後3歳くらいの時なんですって。

たとえば、親からDV受けたり、毎度毎度ダメ男にひっかかったり、お金が入っても出ていきっぱなしだったり、一概にすべてカルマとは言い切れないけれど、この人生で何度も何度も繰り返されるこれ。まあ、カルマなんですよね。

今回の人生で、何とかしたくて色々もがいたけれど、もう自分でどうにもできない!!なんとかして!!というその過去生の罪を1個クリアに、0にできる方法、それが「カルマの解消」です。

えっ、どうやったの? 。。。気になりますよね♡

さくっと短く端折って書くと、インドにはこの地球上の人の、生まれてから死ぬまで(それだけでなくその人の次の人生の触りや、今回の人生に影響を及ぼしているカルマを負った過去生まで)書かれて保存されている記録があるんですよ。メッセージを送ったのはシヴァ神、それを書き起こしたのは聖者アガスティア。何千年も前と言われています。(彼はマハーバーラタやラーマーヤナに登場しますよ)

私も、まさかー。くらいの気持ちで行ったのですが(←おい) 一切公開していない私の名も、両親の名も、何歳何ヶ月でその予言書が保管されている館に行って予言書を読まれるか、から始まって、子供の事(何人いて将来どんな仕事して何歳で結婚するか、とか)私は何歳でどう死んで次の人生はどこの国のどの街でどの親から生まれるか、なんてことまで、みーんな書かれてて、、、、

私の予言書の一部

で、それを読むだけだと、単なる未来日記でしかないのですけれど、ちゃーんと過去生からきているカルマの解消方法も書かれていて、これが一番重要だったりするんです!!

方法としては、このお寺のこの神様にこの捧げものとご祈祷をしなさい、といった感じで、人により回るお寺の場所も数も神様も様々。ある人は西の果ての砂漠まで、東の果て、南の果てまで飛ばされたり。そして日本に行く前にカルマの解消をサクッと終わらせたい私は、そのことを神様と聖者にちゃっかりお願いしてから予言書を開いたのですが、、、ありがたいことに、南インドのタミルナドゥ州に集中、しかも友達が一緒にアレンジしてくれてほんとありえない速さでクリアできたのでした。

さて、そんな私がカルマの解消で巡ったお寺の中で、一番最後に回るように示されたお寺に祀られていた神様Ketuのご紹介と、なぜそこだったのか、なぜそこに最後に行くよう示されたのかちょっと考えてみたので、忘備録的に残しておきます。(前置き長ッ)

Ketuは影の惑星。

花柄の腰巻がめっちゃオシャレなケトゥさま

ヒンドゥー占星術によると、ラーフとケートゥは、天球の周りを移動するときの太陽と月の経路の2つの交点を示します。したがって、ラーフとケートゥはそれぞれ北と南の月の交点と呼ばれます。太陽と月がこれらの点の1つにあるときに日食が発生するという事実は、太陽を飲み込むという神話を引き起こします。

月の交点について詳しく読みたい方はこちらをどうぞ

ラーフとケートゥに関する基本的な天文学的事実

ヒンドゥの占星術において、ケートゥはカルマコレクションの善と悪、精神性と超自然的な影響の両方を表しています。ケートゥは、精神への具体化の洗練の精神的なプロセスを意味し、悲しみと喪失を引き起こし、同時に個人を神に変えるので、悪意と恩恵の両方と見なされます。言い換えれば、それは人のより精神的な見通しを強制するために物質的な損失を引き起こします

ケートゥの影響下にある人々は、彼らのほとんどが精神的な、大きな高みを達成することができるのだそうです。

ケトゥは悟りと解放の惑星。ケトゥは「頭を失った」姿。では「頭」とは何を表すのか。

例えば象の頭を持つガナパティ(ガネーシャ)。彼も、シヴァ神が一度頭を切り落とし、そして別の頭(象)をつけますが、何事もなく生存し続けていますよね。(魂はもちろん不滅ですが、)肉体もつまり心臓が動いていれば頭はすげ替えても大丈夫。ということに。

バガバットギータでも、クリシュナ神がその実際のお姿を人間代表でそのお話の主人公であるアルジュナに見せた時、人間たちが神の口に飛び込んでいって、頭と胴体が分離される描写があります。

頭=余計なことを考えてしまうところ。正しくて間違った知識を貯めてしまうところ。
だから頭を切り落とされた。切り落として首をすげ替えられてもガナパティは生き続けた。

頭=世俗的な感覚。頭=俗。平凡な生活を超越し、最終的な解脱を達成したい禁欲主義者、人として放棄の擬人化がケトゥなのですね。

旅の終わりに

ケトゥテンプルに私がたどり着いた時、時刻は夜の7時半をまわっていて、あたりはシンとした暗闇に包まれていました。御祈祷の声だけが、他に何にもないそこに響いていて、あかりはお寺のささやかな電飾と蝋燭だけ。ご祈祷が終わるとまたなんとも言えないお寺だけでなくその一帯の、田舎の農村エリア、その静けさの中にぽつんといる自分。

過去における誕生の際の欠陥は、ここで祈ることにより修復されるのだそうです。

ケートゥは、ヴィシュヌのミーナアバター(魚の化身)に関連付けられています。ケートゥは、物質化の精神への洗練の精神的なプロセスを意味し、悪意と有益の両方と見なされます、それは悲しみと喪失を引き起こし、それでも同時に個人を神に向けるからです。言い換えれば、それは人のより精神的な見通しを強制するために物質的な損失を引き起こします。

カルマの解消を終え、ひと段落した頃に、私の毎日身に付けていたダイアのピアスがなくなりました。いつも通りの棚の上に夜寝る前置いておいたのに、どこを探しても出てこないままなのも、このケトゥの影響かなと(=_=) 物質的な損失と、精神的成長。。。。まあ、精神的な成長の方が大事だし、物は所詮物質。。。ですよね。。。ね?

ケートゥは、知性、知恵、非執着、幻想、鋭い洞察、混乱、および精神的能力の指標です。ケトゥは、献愛者の家族に繁栄をもたらし、毒から生じる蛇咬傷や病気の影響を取り除くと信じられています。彼は彼の信者に健康、富、牛を与えます。ケートゥの影響下にある人々は、彼らのほとんどが精神的な、大きな高みを達成することができます

私、いつか誰かから牛をプレゼントされる日も近いのかな。。。(違)

いえ、もうたくさん。上記のことを戴いた気がする今日この頃なのでした。牛以外。

ラニー
「母親」という役割、自分の時間を割いて我が子のために費やしたその時間や行為は、インドのどの修行よりもずっと修行であり、良いカルマを積めるのだそうです。できたら目の前の人が毎度ママを褒めてくれたらいいのだけれど、もしそれがなかったとしても、ちゃんと神様もご先祖様も上のみなさまみんな見て評価してくださってるから!!みんないつも本当におつかれさま!えらいよ!!すごいよ!!休める時にやすんで、いたわってね!!!
ムクジ
やさいいろの漆黒色のボトルにもケトゥ神がいるよ。見てみてね

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